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幸せを求める不幸な心

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不幸は面白コンテンツである。

人の不幸は面白いし、自分が面白くあるためには不幸でなければならない。

 

人の不幸を笑うものには幸せになる権利はないし、不幸を笑うのに幸せな奴はおもんないやつである。

 

最近そんな思考が脳内をめぐって離れない。

私は不幸をおもしろコンテンツだと思っているし、週刊誌やワイドショーで松本人志や大谷翔平の通訳の方の不幸情報を仕入れいている人たちも同じ穴の狢だと思っている。

 

不幸コンテンツは面白いから自らが面白コンテンツであるためには不幸でなければならいし、自分は不幸だがより不幸な人を見つけては安心しているのかもしれない。

 

では、幸せコンテンツは面白くないのか?

面白くないのである。

 

松本人志が落ちていく様は連日大きく取り上げられるが、有名人の結婚報道はすぐに忘れ去られるのである。

毎年2月23日に日本一の有名人が誕生日を迎えてコメントを発信されるが、そのコメントを覚えている方はどれくらいいるのだろうか。私は覚えていない。

 

とにもかくにも不幸を面白コンテンツとして摂取している人がいることに疑いの余地はないだろう。

 

私もその一人であることに間違いはないが、そろそろマインドを変えたいとも思うのである。

自分が面白コンテンツであるためには、不幸であることが一番手っ取り早く、幸せは面白コンテンツですらない。むしろ妬みの種になるし防衛本能として不幸であるほうが生きやすいまである。

今後の人生が面白くなくなるとしても不幸が面白コンテンツであるという考えを払拭し、今後の人生において自分がしょうもない人間になるとしても、不幸であることに抗いたい。

今まで散々不幸という面白コンテンツを消費して生きてきておきながら、幸せを諦められないのだ。